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街並み保存の魁である妻籠宿、保存50周年 [その他]


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日本初の重要伝統的建造物郡保存地区、街並み保存の魁である妻籠宿は、2018年2月で保存50周年を迎えたそうです。

物見遊山で訪れる観光客には、タイムスリップをしたかのような風情のある景観が、旅情を掻き立てる稀有な建造群として価値の高いものです。
原型を保ちながら修復して使い続けるご苦労は、生活様式や文化、技術の変化や進歩が加速する中、いかばかりなものかと察するに余りあります。

 

高札場です。

 

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明和7年(1770年)の高札掟書です、農民が群れを成し団結して、権力(ピンハネする権利)に対抗する事態(一揆)を恐れた幕府による、密告の奨励と恫喝の御触れです。一番上の左側の場所に掲げ、重要性を強調しているようです。
「百姓がいろいろなよくないことを大勢で合議団結して(徒党)、権力に圧力を加えること(強訴)や、村から集団離脱(逃避)することは、元から禁止されている。そのような情報を得たら自分の村でも他所の村のことでも、すぐに役所に知らせなさい。
徒党、強訴、逃避いづれの場合も報告への報奨金として銀百枚が与えられる、また状況により苗字、帯刀も許される。」
民衆が団結して抗議行動を起こし、ピンハネする権利が損なわれることを恐れる、権力側の恐怖心が良く伝わります。
明和元年には中山道伝馬騒動が起こりました。この一揆の原因となった賦役増加の要求を、幕府が取り下げる事態となり、幕府の威信は傷つきます。
この後明和7年に上の掟書発布となったようです。
今の民主主義の日本では、数の減った農民よりも、シルバーパワーが最大の脅威(再配分の配慮の対象)でしょうか。

 

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旧熊谷家住宅です、長屋が削られ、左右が逆になって一軒分として使われていたものを保存しているとのこと、19世紀初頭の建築。
家族数はどれぐらいでこの広さを使っていたのでしょうか。間口三間半とありました、奥行きは4間半でしょうか約16坪。


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木製黒ぬり箱柱型ポスト、全国で唯一の黒いポストを復元とのこと。


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脇本陣です、建物に入る前から薪を燃やす煙が漂います。


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風向きによって家の中に広がるように思いました、客室などへの影響は大丈夫だったのでしょうか?


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大名風呂


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明治天皇行幸の際に設けられたそうです。


お庭を拝見


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歴史資料館につながっています、木曽式伐木運材法の解説がありました。

木組みで巨大な滑り台を設け、切り出した伐木を滑り落とす豪快な方法です。


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復元された本陣です。


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上段の間


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光徳寺、街並みより少し高台に上ります、日本最初の人力車。


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紅葉、街並みを楽しみます。


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天候にも恵まれ、今日も十二分にに楽しめました。
日本最高、ありがとうございました。

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