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読んだ本 だから医者は薬を飲まない 和田秀樹著 SB新書  2015年11月 [読書]


「私の経験から言わせてもらえば、医者には薬嫌いの人が多いようです。その一方で、患者さんには多くの薬を出すことが常態化しています。」(本書はじめにから抜粋加筆以下同)


だから医者は薬を飲まない.jpg

 

「日本における一般の医者は、自分がアメリカで留学中に薬はなるべく減らそうと学んだこととは、逆の発想をする。」

「患者さんには長生きしてほしいからたくさんの薬を出し、自分はヨボヨボしてまで長生きしたくないから薬はあまり飲まないのではないか・・・・実際血圧、血糖値、コレステロールを下げる薬にあっては・・・・二十年後くらいの脳卒中や人工透析のリスクを減らすためのものです。そういう薬を飲んで体がだるくなるくらいなら、多少早死にしてもいいと思っている医者が多いのではないかというのが私の仮説です。

ところが昨今のさまざまな長期予後の調査では(これが日本のものではないことが困ったことなのですが)、それがどうもあてにならないというデータがいくつも出ているのです。にもかかわらず、多くの医者、特に権威のある医者はそれを受け入れようとはしないのです。」

検査やお薬大好きな日本人は、薬を健康増進剤と勘違いし、無病息災のドーピング剤を安価に手に入れるために、医者におねだりしているのではないかと思えます。医者はそれに応えることにより顧客満足度上げ、事業の興隆を図ることができます。各学会はその意味においては大変適切な適正値を示しお墨付きを与え、厚生省、自治体は定期検診を奨励補助し、医薬品メーカもそれらに合わせ、さりげなく不安をあおるCMでおねだりへと誘います。お支払いは皆保険制度が優しくフォローしてくれます、自世代で賄いきれない部分は次世代さらにその先へ附け回しです。

医者自身が効果と副作用を天秤にかけ、あまり選択しないような道を患者側は選んでいるとしています、或いは選ばざるを得ないように教育されているのでしょう。しかもそのドーピング剤は長期の追跡では効果が怪しいとしています。死生観もあるのでしょうが、情報の非対称性にその原因があるように思います。何故か日本では行われることの無い、かつマスコミが取り上げることもない長期予後の調査結果を、医者は知っていると思います。

本文冒頭は以下のような書き出しです。

「”こんなにたくさんの薬を飲んで大丈夫だろうか?”と患者が疑問を抱くのに対し、医者も”こんなにたくさんの薬を飲んで大丈夫かな?”と思いながら処方箋を書いていたとしたら。」

「専門分化型である現在の医療機構で経験を積んだ医師が、開業するなどして専門以外の患者を診る場合、医学専門のハンドブックに治療方や処方を求めます。そこに標準治療として推奨される薬は、たいがいどんな病気に対しても一種類ではなく二種類とか三種類ぐらいあるのです。心臓病の患者さんを診ているときに、”実は骨粗しょう症も・・・血糖値が高いと言われ・・・喘息も・・・胃潰瘍も”と言われると、だいたい十五種類の薬を出すことになります。”さすがにちょっと多いなあ”と医者自身も思っているはずですが、総合的な判断ができず、どうやって量を減らしたらいいのかわからないのです。特に自分の専門でない病気については、どの薬を削ったらいいのかほとんど判断がつきません。」

「内科学会の勉強会や研修会などにも参加することもありますが、残念なことに、薬の減らし方を教わることはありません。逆に新しい薬の使い方を次から次えと聞かされたりします。薬を減らすどころか、むしろ薬漬け医療を促進するようなことが行われているということです。」

「医者が過剰に薬を出す三つの理由」の項では。

「処方した薬で患者さんが死んだ場合は製薬会社の責任になりますが、薬を出さずに患者さんが死んだ場合は”医者の手抜きだ”と言われて責任が追及される可能性があるのです。”自分は医者としての務めを果たしている”ということを裏付けるために、とりあえず薬を出しておこうということになるわけです。患者さんのためにではなく、自分の身を守るために薬を処方するということです。」と、保身の為の処方が在ること。先にふれた専門外の薬の減らし方がほとんど解らないこと。飲み食い運動などの生活習慣を改善できない(しない)患者さんや、検査データの正常値にこだわる患者さんの場合、おねだりがあることを挙げています。

「予防投与という考え方が薬を多くしている」の項では。

「アメリカでは耐性菌が増えないように抗生物質の不必要な使用を避けるという考え方が広まっています。・・・アメリカでは感染症になっていないのに予防的に抗生物質を投与するということはありません。・・・手術したからといって必ずしも感染症になるとは限らないわけですから、抗生物質をあらかじめ出しておくという無駄なことはしないのです。欧米人らしい合理的な考え方だと言えます。それに対して日本人は”転ばぬ先の杖”的な考え方・・・ウイルス感染症である風邪の患者さんに、細菌を殺す薬である抗生物質を出すのも、肺炎の予防という側面が強いのです。・・・ときに医者は鎮痛剤を出しますが、鎮痛剤は胃に悪いので通常は胃薬もセットで処方するのです。・・・鎮痛剤を飲んだ人は必ず胃を悪くするかというと、そういうわけではありません。・・・予防として副作用を止める薬を出すのが日本の医療ですから、必然的に薬の量が多くなるわけです。」

「掟に従わざるを得ない日本の医者が薬を増やしている」の項では。

「・・・金に走るのはごく一部であって、ほとんどは厳しい受験を勝ち抜いてきた受験秀才ですから、金にならなくても上の人から教えられたことを素直に聞き、治療でも手を抜いたりすることがないような優等生タイプが多いわけです。そういう真面目な彼らが患者さんに大量の薬を出すのは金もうけの為でも何でもなく、とにかく検査データを正常値に戻すことが患者さんの健康につながると考えているからです。・・・悪いのは受験教育ではなく、医学教育です。・・・最新の技術や知識に詳しい教授になりたての若い人よりも、技術も知識も二十年前と変わらない古い教授のほうが威張っている。ボスの発言は絶対で、世間一般の常識は通用しない。医学会というのは、そんな宗教団体のようなところだと言っても過言ではありません。多くの医者は、その宗教団体の”掟”に従って真面目に働いています。”検査データをすべて正常値にしなければならない”というのもその掟の一つなのです。結局、医学会の掟に従う真面目な医者が多いから、薬が減らないわけです。」

”患者よ、がんと闘うな”の、近藤誠元慶応大学医学部放射線科講師を例に、何故掟に従わざるを得ないかを著しています。「母校に戻りアメリカ留学で学んできた乳房温存療法(がん細胞だけ切って、あとは放射線をあてても死亡率が変わらない)、を発表したため昇格の道を閉ざされ最後まで講師のまま終わった。その理由として、それまでオッパイ全体を取らないと乳がんが再発する、としてきた外科の権威のメンツを潰し教授会から嫌われた為としています。2015年においては乳房温存療法が標準治療になっており、近藤氏の発表から15年後外科系の偉い先生が定年でいなくなるまで、権威に嫌われるので使えなかったということです。この15年の間に、オッパイを全部取られ、大胸筋も取られて、腕が上がらなくなった患者さんが気の毒でなりません。」と記しています。

また、「教授と言われる人の多くは、雑務が多く(製薬会社からの金になる講演依頼も含めてのことですが)、勉強してもこれ以上、上がないし、逆にしなくても教授を外されることがないというインセンティブのなさのために、新しい知識を得ようという意欲がわきません。」と、世界から取り残される日本のガラパゴスたる所以を示し、医学教育を施す側の教授という肩書の実態を評します。

2015年の本であります、少しづつでも良い方に向かっていると祈りたいです。

アメリカ帰りの、日本の常識とは合わない知識を実践、広めようとする医者学者には居心地の悪い国のようです。学会(村)の利益が最大になるよう顔役が方針を定め、待遇に満足する村民(受験秀才達)の大勢は、しっかり空気を読み体制に逆らわないように勤しんでいるように見えます。局益あって省益なく、省益あって国益なし。と構図は同じではないでしょうか。


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